これは便利!  『城下町萩の寺と人物』 をおすすめします!




萩市仏教会から発行された『城下町萩の寺と人物』(平成11年4月8日発行)は萩のお寺を網羅的に知るための唯一のガイドブック(B5版、210ページ)です。現存するお寺だけでなく、ほぼ同数の廃寺となったお寺についての情報も扱っています。それだけでなく、幕末から維新にかけての萩の著名人(244名)についての情報も満載し、お墓がどこにあり、誕生地や旧宅跡がどこにあるかといった情報も地図を使って示していますので、観光ガイドにも最適です。

実費 1,000円でお分けしていますので、ご希望の方は、「『城下町萩の寺と人物』を( )冊希望」とお書きになり、お名前と送付先を明記の上、bukkyo@haginet.ne.jp へメールをお送り下さい。数日後に発送致します。代金(1冊の場合送料共 1,310円)は書籍到着後1週間以内に同封の郵便振替にてお願いいたします。

また、葉書等でお申し込みの場合は、「『城下町萩の寺と人物』を( )冊注文」とお書きになり、郵便番号、住所、氏名等を明記の上、萩市仏教文化研究会(〒758-0032 山口県萩市北古萩50 海潮寺内 萩市仏教文化研究会/FAX 0838-26-0157)へお申し込み下さい。

内容見本


以下は『城下町萩の寺と人物』の内容見本です。

      刊行のことば
 萩市仏教会(萩市仏教団はその前身)は、旧市内にある全宗派五十余ヵ寺の大半である五十二ヵ寺で構成され、既に半世紀以上の歴史を持ち、昭和四十六年には仏教文化の普及と発展を目指して萩市仏教文化研究会をも創設し、現在では、花祭りなどの仏教諸行事の他に、電話法話・施設出張法話・テレホン相談・文化講演会・研究講座など多方面にわたって事業を展開しております。特に昭和五十一年には、仏教文化研究会の研究講座の一環として『萩市寺院名鑑』の編集が企画され、長い伝統を生き抜いた萩の寺院の歴史と今日の姿を後世に伝えるものとして、萩市仏教団と萩市仏教文化研究会の共同事業として刊行されました。しかしながら、既に二十数年の歳月を経た今日、同書の入手は困難となり、再版を望む声も聞かれるようになりました。幸い、昭和六十二年に萩市より刊行された『萩市史』第三巻の「仏教」の項を、『萩市寺院名鑑』でも中心的役割を果たされた当会会員の常念寺住職古本光然師が執筆担当され、より充実したものが出来ておりますので、それらを基に、今回は、廃寺となった寺院も含め、また萩の人物についての情報もより充実させ、新たな装いで寺院名鑑の新版編集を企画立案致した次第です。
 江戸時代の萩には現在の萩市の人口の二倍以上に当たる十万人が生活し、寺院数も同じく二倍の百十余ヵ寺があったと言われています。それらの寺院が明治に入るや統廃合を余儀なくされ、半減して現在に至っています。その廃寺となった寺院が今どのようになっているのか、歴史家でなくても興味のあることかと思います。
 また、美しい自然に囲まれ、静かな城下町萩にある多くの寺院は、武家屋敷や土塀などと共に、昔の風情を今に伝え、訪れる観光客の目を潤しておりますが、萩を訪れる観光客の目は、それらの建物や静かな風景のみでなく、この萩という小さな城下町から、幕末・維新を中心に爆発的なエネルギーで活躍した多くの先人達に対しても向けられています。その先人達のお墓の多くは市内各寺院の抱えるところであり、寺院の果たすべき観光的要素も意外と多いと言えましょう。
 今回これらの多くのニーズを盛り込むべく新版の編集を企画致したわけですが、その編集作業を円滑に運ぶために編集委員会が組織されました。その構成は、平成九年度、十年度を担当致しました萩市仏教会の幹事十名と萩市仏教文化研究会執行部四名(内三名は現幹事と重複)、それに寺院名鑑編集経験者である常念寺住職古本光然師に加わって頂き、総勢十二名で事業に取り組みました。
 本書の編集刊行に当たりましては、ご多忙の中、原稿の執筆にご協力下さいました市内寺院ご住職各位、実質的編集作業、並びにワープロによる印刷原版作りを一手に引き受けられた海潮寺住職木村隆徳師、精力的に編集補助を担当された俊光寺副住職岩垣法順師、寺院名鑑編纂経験から貴重なご助言を惜しまれなかった常念寺住職古本光然師、寺院の写真撮影にご協力下さった中谷伸氏、その他多方面の関係各位のご好意とご労苦に深甚の謝意を表し、本書が萩市の仏教と歴史の更なるご理解の一助となることを願って、刊行のことばといたします。                        合掌
     平成十一年四月八日

      例  言
一、本書は、昭和五十一年に萩市仏教団(萩市仏教会の前身)と萩市仏教文化研究会によって編集発行された『萩市寺院名鑑』、及び同六十二年に萩市より発行された『萩市史』第三巻の「仏教」の項(常念寺住職・古本光然師執筆)等をベースとし、これらに萩市内の各寺院住職により加筆され提出された原稿を基に、明治初年を中心に廃寺となった寺院も新たに加え、また、各寺院に属する有名人の項も名前だけでなく事績も書き加えて充実させ、編集したものである。
二、対象寺院は、萩市内の全寺院である。宗教法人として登録されている寺院は勿論、登録されていない非宗教法人の寺院も含む。また、廃寺も含むが、廃寺の範囲は、萩に於いて廃寺となった寺院を対象とし、萩市以外の地で存続している寺院も廃寺とした。本書に取り上げた廃寺は今回の調査で知り得た限りのものであり、今後も継続した調査が必要と思われる。なお、非宗教法人の寺院は寺院名の上に「(非)」を、また廃寺の寺院は同じく寺院名の上に「(廃)」を記して区別した。
三、今回、見出寺院名として取り上げた寺院名の総数は百五十五である。その内、現存する寺院数は七十九(法人=七十二、非法人=七)であり、廃寺となった寺院数は七十六(実質的廃寺=五十三、名前だけの名目的廃寺=二十三)である。
四、見出寺院名の配列は、総数百五十五を五十音順に並べた。最も利用しやすい形態と考えたからである。これらを内容的に分類すると次のようになる。
見出寺院総数(百五十五)
現存寺院(七十九)                 廃寺(七十六)
   宗教法人(七十二)                実質的廃寺(五十三)
    天台系 天台宗(一)               天台系(一)
    真言系 真言宗醍醐派(一)            真言系(十五)
         真言宗御室派(五)            浄土系(十八)
         一切宗(一)                禅宗系(十八)
    浄土系 浄土宗(九)                日蓮系(一)
          浄土宗西山禅林寺派(二)    名目的廃寺(二十三)
          浄土真宗本願寺派(二十九)
    禅宗系 臨済宗南禅寺派(五)
          臨済宗建仁寺派(二)
         曹洞宗(七)
         黄檗宗(三)
    日蓮系 日蓮宗(四)
         法華宗(一)
         日蓮正宗(一)
    単立寺院(一)
  非宗教法人(七)
五、各寺院に関する記事内容、及びその配列順は左記の通りである。ただし、寺院によって、記事内容を省略した場合がある。また、【変遷図】については、印刷の関係上、前後の項目と入れ替えた場合がある。なお、寺院の写真撮影は中谷伸氏の協力をえた。
  【宗  派】 当該寺院の属する宗派名である。
  【所 在 地】 現存する寺院の所在地を記し、( )内に巻末の寺院地図(現地図・古地図)の該当寺院番号を記した。廃寺の場合は、往時の所在地を記し、古地図の該当寺院番号を記した。萩の場合、古地図と現地図の移動は比較的少ないので、読者はこれらの地図により、地図上のみでなく、実際に廃寺の跡地を確認しながら歴史散歩を楽しむことができるであろう。
  【電 話】・【F A X】 当該寺院の電話番号、及びファクシミリー番号である。
  【住 職】 住職氏名、世代数、生年月日、その他有僧籍者氏名を記した。
  【副 住 職】 副住職のある場合は、その氏名と生年月日を記した。
  【本 尊】 当該寺院の本尊である。
  【伽 藍】 当該寺院の現在の建物について記し、( )内にその建立・再建・改築等の時期を記した。
  【沿 革】・【変 遷 図】 『萩市史』第三巻の記述をベースに、各寺院住職により加筆訂正されたものに基づく。沿革の複雑な寺院については、【変遷図】を参照することにより、理解の助けを得るであろう。
  【歴代住職】 歴代の住職名を記し、その没年を( )内に記した。住職名は法諱(法名・法号)を基本としたが、道号がより一般的な場合は、それに従った(例、東光寺開山、慧極道明禅師の場合、「慧極」が道号、「道明」が法諱)。また、姓が明らか名場合は、( )内に没年に先だって記した。なお、廃寺における歴代住職の記述にあたっては、享保年間 (一七一六〜三六)に編纂された『防長寺社由来』第六巻を主な資料としたため、同書編纂以降の住職名については不詳の場合が多く、「以下不詳」と記した。
  【年中行事】 当該寺院で行われる慣例行事であり、( )内は挙行期日である。
  【寺 宝 等】 当該寺院が所蔵する仏像・仏画等である。
  【有 名 人】 当該寺院を菩提寺(墓所を定め仏事を営む寺)とする有名人である。各寺院住職から提出された原稿にあるものは基本的に採用し、他は『角川日本姓氏歴史人物大辞典35山口県』の「第三章 山口県の人物」、及び田中助一編『萩先賢忌辰録』により補充した。また、当該人物の墓所については田中助一氏の同書により、誕生地や旧宅跡等については、松本二郎著『維新のふる里 萩の風景と人物』(正・続)によった。
六、巻末の付録
   付録1 萩ゆかりの有名人
    萩で生まれ、あるいは萩で活躍したが、萩市内の寺院を菩提寺としない有名人について記した。有名人の範囲は、『角川日本姓氏歴史人物大辞典35山口県』に記載されているものを基準とした。使用した参考文献は各寺院の【有名人】の項の場合と同様である。
   付録2 廃寺について
    廃寺について若干の解説を試みたものである。
   付録3 年号対照表
    一般的に利用できるよう全年号を記載した。西暦年数は各年号の元年である。
   付録4 地図(寺院地図・有名人地図)
    古地図は、大津友一氏所蔵「萩城下町絵図 嘉永五年」のカラーポジフィルム(萩市郷土博物館所蔵)を大津友一氏、並びに萩市郷土博物館の許可を得て使用した。現地図は、マシヤマ印刷作成の白地図を利用した。
七、主要参考文献
   本書の編集にあたり左記の参考文献を参照した。
   一、『防長寺社由来』(享保年間)山口県文書館、昭和六十年
   二、『防長風土注進案』(天保十三年)山口県文書館、昭和三十九年
   三、『八江萩名所図画』(安政二年)付録 松本二郎著、マツノ書店、平成二年
   四、『山口県風土誌』近藤清石編(山口県文書館、明治三十七年)歴史図書社、昭和四十八年
   五、『山口懸寺院沿革史』山口懸寺院沿革史刊行會、昭和八年
   六、『萩先賢忌辰録』田中助一編、萩市仏教団、昭和四十五年
   七、『萩市寺院名鑑』萩市仏教団、昭和五十一年
   八、『萩市史』第三巻、萩市史編纂委員会、昭和六十二年
   九、『角川日本姓氏歴史人物大辞典35山口県』角川書店、平成三年
  一〇、『維新のふる里 萩の風景と人物』松本二郎著、萩市郷土博物館友の会、平成四年
   一一、『維新のふる里 萩の風景と人物 続編』松本二郎著、萩市郷土博物館友の会、平成六年
八、有名人索引
   各寺院の【有名人】の項に記載のものと、付録1「萩ゆかりの有名人」に記載のものとを合わせた全体に対する索引である。

 (寺院記事内容見本)(縦書き)

   常 念 寺(長栄山 不断光院)

【宗  派】     浄土宗
【所 在 地】    〒七五八‐〇〇四三 萩市下五間町一七 
                                                        (現地図AR、古地図BK)
【電 話】         (〇八三八)二二‐〇〇〇六
                        ふるもとこうねん
【住 職】         古本光然 第三四世 昭和十六年四月十八日生
【本 尊】         阿弥陀如来
【伽 藍】        本堂(寛文十一年)    山門(桃山時代、国指定重要文化財)    書院(昭和九年) 位牌堂(昭和六十年)    庫裏(昭和五十八年、平成九年)


【変遷図】

【沿 革】        天文元年(一五三二)、開山酉阿、安部家貞(吉見家の家臣)を開基として建立され、安部氏の法名常念をとって寺号とした。当初は現在地より北側に位置し、輝元築城の際に宿舎にしたといわれ、その縁により表門が寄進されたという。寛文九年(一六六九) 八世暦雲代に類焼のため堂宇を焼失したが、毛利家の援助により、第九世鑑達代、現在地に再建された。江戸時代は総本山知恩院の命により防長二州の触頭となっていた。明治初年称名院(巨溪山 常念寺七世求公開山)を合併した。
【歴代住職】  開山酉阿(天正三年没)   第二世良應(天正十年没)   第三世良瑞(文禄四年没)   第四世萬永(慶長七年没)   第五世良残(元和元年没)   第六世良菴(寛永六年没)   第七世中興求公(寛永二十年没)   第八世暦雲(延宝五年没)   第九世中興在阿(天和二年没)   第一〇世大察(正徳五年没)   第一一世運恕(元禄五年没)   第一二世萬山(元禄十三年没)   第一三世林祖(正徳二年没)   第一四世萬説(享保十五年没)   第一五世林察(享保十七年没)   第一六世秀的(宝暦十一年没)    第一七世林冏(宝暦三年没)   第一八世単幢(宝暦五年没)   第一九世冏存(天明五年没)   第二〇世遵梁(天明七年没)   第二一世達文(寛政十三年没)   第二二世見利(文化五年没)   第二三世見龍(文政四年没)   第二四世定仙(矢野、天保三年没)   第二五世在専(嘉永元年没)   第二六世正真(天保十二年没)   第二七世兼秀(嘉永元年没)   第二八世大信(明治四年没)   第二九世文等(宮田、明治十五年没)   第三〇世赫春(西村、明治三十九年没)    第三一世赫然(藤井、昭和十四年没)    第三二世春水(山近、昭和十五年没)   第三三世超然(古本、平成三年没)
【年中行事】  修正会(正月)  涅槃会(二月十五日)    春彼岸会   花まつり(四月)    施餓鬼会(八月十日)   秋彼岸会   宗祖御忌会(四月、六年毎)    五重相伝(十六年毎)    明照講(七年毎)    祠堂(十夜)法要   (秋季)別時会仏会(毎月二十三日)    写経会(毎月八日)    観音講(毎月十七日)
【寺 宝 等】  阿弥陀如来(伝、円仁作)   脇士観音勢至(伝、康慶作)   萩焼唐獅子
【有 名 人】 飯田正伯 いいだせいはく 藩医、吉田松陰の門人、松陰死刑の際、桂小五郎等と屍体処理をなす、のち浦賀にて幕吏に捕らえられ牢死した、文久二年没、墓あり。
       寺内暢蔵 てらうちちょうぞう 萩藩士、名は通健、潜盧と号した、維新前後に国事に活躍、山口代官、徳地代官を歴任、明治四年没、墓あり。
       羽仁稼亭 はにかてい 寺社組御雇、名は正信、通称弥五郎・喜太郎、私塾を開き高杉晋作も教え子の一人、明倫館の書道教師をつとめた、元治二年没、墓あり。
                     春若元俊 はるわかもととし 萩町人、代々桧物細工を家業とする、輝元の萩打入りにお供し、町並みを拝領して春若町を取り立てた、慶長十二年没、墓なし。
                     日野恕助 ひのじょすけ 周平・宗春ともいい、鴎洲・白鴎・茶翁と号した、青木貞弼や緒方洪庵に学んだ、山口病院長、郡学区取締役、県御用掛などを歴任した、明治四十二年没、墓は大島郡久賀町の阿弥陀寺。
       福井太郎 ふくいたろう 萩藩士、長崎で蘭人に銃陣を学び帰藩後練兵教授、のち壬戌丸乗組、大組物頭、藩主の近侍、足軽中隊長、干城隊軍監となる、慶応四年没、墓あり。 
                     松本忠兵衛 まつもとちゅうべい 萩町人、浜崎町の北国問屋・町年寄、摂津国堺から住吉神社を萩へ勧請した、寛文十年没、墓なし。
                      渡辺 通 わたなべとおる 毛利元就の側近に仕え、尼子氏との合戦のとき、元就の身代わりとなり、無事元就を落ち延びさせて戦死す、世に「鈴槍通」と讃えられる、天文十二年没、功徳碑あり。
       渡辺 長 わたなべたける 厳島の合戦や門司表の合戦などで活躍した、慶長十七年没、墓(宝篋印塔)あり。